今回は番外編、成田山新勝寺の面白い話!
この記事を書いているのは2021年の1月頃です。
新年早々、書いている記事になりますので、新年にちなんだ話をしたいと思いこのテーマにしました。
私、実は成田山が好きで、毎年元旦になると早朝4:00頃必ず初詣にいってるんです。
※早朝4:00の様子
理由は、信仰というよりも、成田山新勝寺に、すごく面白い話が多いからなんです。
一体何が面白いのか?今回はこの辺、番外編として語ってみます!
初詣のランキングはいつも上位
成田山新勝寺は初詣のランキングは、いつも上位にいます。ライバルは川崎大師とか明治神宮とかです。
なぜ成田山は、こんな人気なお寺になったんでしょう?実はこの裏には、色々な努力や工夫があったそうなんです。
そう!ここが面白いポイントなんです!
成田山は、江戸時代から戦略的な施策を行っていて、この数々の施策が功を奏して、成田山をここまで有名にしたんです!
では、どんな事をやって来たのか?江戸時代にさかのぼり説明をしていきます。
江戸までお不動様を持っていった!?
その工夫は、江戸時代にさかのぼります。
まず、成田山が江戸時代に打った有名な施策とは・・
ご本尊(不動明王像)を定期的に江戸まで持っていって、拝観できるようにしてたんです!
これを【出開帳】と言うのですが、この【出開帳】によって成田山は、江戸っ子たちの支持を集めたんです。
こういう言い方は良くないのですが、お不動様を江戸に出張させるなんて、何だかとても攻めてますよね!
初代 市川團十郎が支持
そして、次は江戸時代、有名だった歌舞伎役者、初代市川團十郎の登場です。
團十郎は当時、跡継ぎに恵まれず悩んでいたのですが、成田山に祈願をしたら、願いがかなって跡継ぎを授かったんだとか。
この恩返しに、團十郎は成田山を支援するようになり、成田山の出開帳に合わせて、成田山のご利益を描いた歌舞伎を披露するようになったそうです。
この【市川團十郎の支持】と【御開帳】のコンビ技が江戸で有名となり、成田山新勝寺は躍進を遂げたんです!
今で言うと芸能人を使ったCMだとか、インフルエンサーに近い戦略を、江戸時代にやっていた感じですね!
急な階段を上がるまで、本堂が見えない
これも有名なんですが、成田山新勝寺は、視覚効果を利用した演出も隠されています。
こんな急な階段があるんですが、登りきるまでは何も見えない様になってるんです。
階段を登りきるとこんな感じで、広大な風景が広がります。
そうすると、ちょっと【ありがたい感】が出るのと、何というか、ちょっと壮大な感じがするんですよね。
写真で見るよりも、実際に行ってみて体験すると解ると思います!こんな仕組みも、地味に面白いポイントなんです!
現在でも面白い事がいくつか
ここまで書いた事は、結構有名な話です。
しかし、ここからは、私が成田山に行って、個人的に面白いと感じた事です。それは・・
色々なところが、結構システム化されている事!
例えばこんなとこ!
・お正月は成田山のサイトからライブ配信が見れる
・かなり前からレジがタブレット化されてる
・お焚き上げが、ベルトコンベアで自動化されてる
・老舗のうなぎ屋ですらIT化が進んでる
成田の参道はうなぎ屋が有名で、その中でも明治から続く、有名なうなぎ屋(川豊)は見た目は超レトロなんですが・・
何と!結構前から電子整理券を導入済み!
※メールで順番が来たらお知らせも可能
そして、さらにLINEの友達登録したら、肝吸いがもらえるサービスまで。
そして、この近くにある、同じく老舗で人気なうなぎ屋「駿河屋」もE-PARKを早くから導入していました。
見た目は完全に老舗なのに、IT化が進んでる!
最後に
成田山は見た目は歴史のある古い建物が多いです。
面白いのは、一見古く見えるけど、裏側では時代の変化にちゃんと適応してそうなとこ!
世の中には、日々たくさんの組織や団体が生まれています。
しかし、時代の変化についていく事ができず、消えていく組織や団体もたくさんあります。
成田山は昔から、色々なアイディアを駆使して生き残ってきました。そして、今も生き残る為の工夫をしてるのではないでしょうか。
時代が生みだした課題に打ち勝つには、きっと時代に適応する為のアイディアが必要なのでしょう。
ちなみに成田山新勝寺は【新しく勝つ】という意味が込められているそうです。
こういう話を聞くと、すごく説得力を感じますよね。
話は変わりますが、成田山はあんま遠くにいきたくないなぁ~・・けど、どっか行きたいなぁ・・ってときにちょうどいいと思います!※関東にお住まいの方
おススメのスポットもいくつか知ってますので、それはまた別な記事で!